私が落語をやると話芸ではなく、役を作ってしまって一人芝居になってしまうんです。芝居はいかに自分を消して役に入っていくかですが、落語は自分を客観的に見つつ、自分を残したままで演じていきます。これがむずかしかった。そこが落語をやる面白さで、ひかれる点でもあります。芝居はリアルにやり取りを再現するものですが、それを落語でやっているとテンポがなくなって面白味が出ない。落語には言い回しや表情ではなく、泣いているように見せる節回しがあると噺家さんから聞きました。語り方で感情も見せていくところは芝居とは違います。テレビドラマや映画、舞台は衣装や小道具、大道具などがあり、動きもありますが、落語の小道具はわずかで座ったまま。そこも違いますね。るで食べているように見えますよね。観ているとお酒を飲みたくなるし、お腹がすいてきます。観客は一番おいしかった蕎麦を想像するでしょう。そのように想像する余地が与えられているからこそ、より鮮明に見えてくるのだと思います。2回の高座はいかがでしたか。初高座のときは演じることなどまったく考えず、柳亭市馬師匠から教えていただいて録音した音源の完全コピーを目指しました。それから11年経った2022年、2回目の高座はちょっと自我が出てきて、演じたくなってしまった。でも何かが違う。教わったとおりにやるのも、感情を作り込んでやるのも違う。立川談春師匠に見ていただくと、「自分の言葉が入っていれば、リアルに見えるから、演じようとせず、ただ筋を語るだけで伝わる」と言落語では扇子の使い方で、箸にも煙■■管にも刀にも見えます。手ぬぐいは本や手紙、財布などに使います。手の使い方やちょっとした姿勢で、感じ方や見え方が変わるんです。お酒を飲んだり蕎麦を食べる話では、いかにもおいしく飲み、まわれました。初高座は教わったとおりに普段は使わない言葉も入れたから、とても硬いものになっていました。2回目はできるだけ自分になじむ形にして、言葉も変えたので、南沢奈央としてしゃべれた感じがありました。まだまだですけど。落語は自分を消しちゃいけない、自分を出さなきゃいけないと思いました。古典落語は人によって表現が違うので、そこに楽しみがあります。高座に上がっている人がどんな人なのか見えてくるのが面白いんです。俳優として演じるとき、自分に近い役と遠い役では演じていていかがですか。私とは性格が違って理解しにくいタイプの人間の役に挑むのは楽しいですが、やっぱり違和感があります。だから演出家や監督は、無理して頑張っていると感じるようです。台詞を言わされているみたいだと指摘されます。舞台では幕が開くまで、その役を自分になじませて、自分との接点を見つけていく作業に時間をかけます。私がオフィーリアを演じた舞台『ハムレット』を観た立川談春師匠が、「歩幅がオフィーリアじゃない」とおっしゃっ『今日も寄席に行きたくなって』(新潮社)は、雑誌『波』に連載した落語のエッセイをまとめ、黒田硫黄さんの漫画とともに一冊に。●この本を3名様にプレゼント。詳しくは本誌29ページをご覧ください。みなみさわ・なお1990年埼玉県生まれ。俳優。立教大学卒。2006年、スカウトをきっかけに連続ドラマで主演デビュー。08年、連続ドラマ/映画「赤い糸」で主演。以降、多くのドラマ、映画、舞台、ラジオ、CMで幅広く活動している。大の読者家でもあり、執筆活動も精力的に行い、読売新聞読書委員も務めた。3月12日〜31日、「メディア/イアソン」(世田谷パブリックシアター)のメディア役で舞台に立つ。■UR PRESS vol.765
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