濠■公園になっている。 ■■ ■■■■ 年10月に開園したエリアだ。これは防災1607年、黒田長政によって築かれた福岡城は、鶴が羽ばたく姿に似ていることから「舞鶴城」とも呼ばれてきた。東西約1キロ、南北約700メートルに及ぶ広大な城郭の跡地には、現在、舞鶴公園、平和台陸上競技場、鴻■臚■館■広場や鴻臚館跡展示館などが整備され、市民に利用されている。下之橋御門、多■聞■櫓■■など城にまつわる文化財も残されており、見どころも多い。城があった時代に入江を利用してつくられた大堀は、現在の大■今回紹介するのは、その舞鶴公園の東端の城内地区。福岡市の要請を受けて、URが防災公園街区整備事業を行い、昨機能の強化を目的として、公園と市街地の整備を一体的に行う事業で、具体的には約300台収容可能な駐車場とテニスコートを整備し、大規模災害が発生したときの避難場所となる空間を創出した。この事業の特徴は、URが福岡市内で行ってきた大学跡地の市街地整備事業と一体的に進められた点にある。そのプロセスはこうだ。まず福岡市中央区にあった九州大学六本松キャンパスが、2009(平成21)年に移転した。そこで生まれた約6・5ヘクタールの跡地を活用し、URが地域拠点形成の実現に向けた市街地整備を実施。18年に「青陵の街・六本松」という新しいまちが誕生した。このまちに複合商業施設や分譲マンション、有料老人ホームなどとともに、城内地区にあった福岡高等裁判所や弁護士会館、さらに舞鶴公園の近隣にあった家庭裁判所などの司法関係の施設を集約。移転後の高等裁判所などの跡地一帯をURが防災公園として整備した。福岡県福岡市URのまちづくり最前線 28福岡城跡に県民・市民を守る城内地区防災公園街区整備事業福岡の人々に愛されている舞鶴公園の東端にあった裁判所が移転し、生まれた跡地をURが整備。大規模災害発生時に自在に活用できる、オープンスペースが誕生した。大学跡地と一体で整備を進める広大な空間を創出19UR PRESS vol.76手前右側が今回の整備エリア。ここから写真奥に向かって鴻臚館広場、平和台陸上競技場、その奥に大濠公園がある。ここがセントラルパーク構想のもと、利活用される予定だ。武田ちよこ=文、菅野健児=撮影
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