街に、ルネッサンス UR都市機構

「ジードルンク 生き続ける住宅団地」

海老澤 模奈人氏(東京工芸大学教授)

第一部 ジードルンクの概要

「ジードルンク」は、20世紀前半に建設され、約100年経った現在も住居として使われているドイツの住宅団地です。私はドイツの建築史を専門としており、10年ほど続けている研究を元に鹿島出版会より『ジードルンク 住宅団地と近代建築家』を出版しました。

(1)1920年初頭ドイツのジードルンク(住宅団地)

「ジードルンク」という言葉はドイツ語で「入植地」や「住宅地」を意味する一般名詞です。ただ近代建築史の文脈では、ドイツ近代の住宅団地を指すことが多く、すでに1920年代において、ドイツの作品に影響を受けた日本の建築家たちもこの言葉を使っていました。
空地を広くとった郊外型の事例が中心で、第1次世界大戦後1920年代から30年代初頭のワイマール共和国時代に建設されたものが有名です。この時代、戦後の住宅不足により大量の住宅供給が求められました。しかし単に安いものを目指したのではなく、背景には住宅改良の思想がありました。19世紀以降の都市の発展と人口増加に伴い、ベルリンのような大都市の集合住宅では採光や通風条件などにおいて居住環境が悪化していました。そのような状況に対して自力での改善が困難な中低所得者層に、リーズナブルかつ居住環境のよい住宅を提供することが目標とされました。そこに当時の先進的な建築家たちが積極的に関わり、合理性重視のモダニズム建築を実践する場になりました。建築自体はシンプルですが、住戸平面、配置計画、デザインなどに工夫が凝らされ、日本を含めた他国へも影響を与えました。

(2)エベネザー・ハワード(1850-1928)の「田園都市」

19世紀末の新しい都市ビジョンのひとつであったハワードの「田園都市」はジードルンクの成立に影響を与えています。職住近接の自立した都市を大都市近郊につくろうとしたものですが、対してジードルンクは環境のよい郊外型の住宅地をつくろうとした点が異なります。

(3)「光・空気・太陽(Licht, Luft und Sonne)」

ジードルンクの例として分かりやすい例がエルイスト・マイの実践です。1920年代後半にフランクフルト・アム・マインに数多くのジードルンクを建設しました。都市中心部との関係を考慮しつつ、郊外に新しい住宅地を分散して配置する計画を実践しました。ジードルンクを語る時によく用いられるのが「光・空気・太陽(Licht, Luft und Sonne)」というモットーです。居住環境改良への強い意識、すなわち衛生思考がうかがえます。たとえば、屋上テラスを設け、日光を浴びやすい環境を実現しようとしました。フランクフルトの初期のジードルンクのひとつ、ブルッフフェルトシュトラーセのジグザグの住棟の形状は、各棟の採光への考慮の結果であると説明されます。このような機能主義が日本のスターハウスの計画にも通じていると考えられます。

(4)住宅の大量建設のための建設方式の探究

プレハブ式のコンクリートパネルの導入、組み立て方法の試行など、大量生産のための建設方式の探求も行われました。ただそれらはまだ実験段階で限定的であり、この時期のドイツの住宅建設では煉瓦の組積造が主流でした。その点は関東大震災後に鉄筋コンクリート造の集合住宅が普及した日本とは違うところだと思います。

(5)実用的かつ経済的な住戸平面の探究

アレクサンダー・クラインは住戸平面研究を行い、日本では同時代に西山夘三らにより紹介されています。現在の建築計画の原点がここにあるのではないかと思います。いかに効率的に床面積を削減しつつ使い勝手のよく、かつ環境のよい住居をつくるかを建築家たちは考えていました。

(6)効率的な家事のための家具・設備の提案

その実現のために住戸内の家具や設備の提案も行われています。女性建築家マルガレーテ・シュッテ=リホツキーがフランクフルトの住戸にフランクフルターキュッフェという厨房ユニットを提案しています。

(7)土地の特徴を生かした配置計画

土地の特徴を生かした住棟の配置計画として、丘状になった土地を利用し、三重の円の住棟を配置したジードルンク・ルントリンクという例があります。各住戸が方位との関係を考慮して異なる平面を持つように設計されています。

(8)平行配置(ツァイレンバウ)への移行

1920年代終わりにツァイレンバウと呼ばれる平行の配置が主流となります。理由は採光や通風が最も効率的なことに加えて、経済状況の悪化やさらなる住宅供給の要請に応じて、より経済的な住宅建築が求められたことが考えられます。効率重視で単調に見えますが、現在訪れると住棟間に多くの緑が育ち良好な屋外環境が形成されていることがわかります。大きな空地をとったことが後まで大きな財産になったと言えます。平行配置の思想は戦後の日本の住宅団地に影響を与えていると考えられます。赤羽台団地は南面平行配置が中心ですが、ここにもドイツの影響が見られます。

第二部 生き続ける住宅団地 事例1:ジードルンク・プラウンハイム

(1)ジードルンク・プラウンハイム(エルンスト・マイ他、1926-29年、フランクフルト・アム・マイン)
  • フランクフルトにあるエルンスト・マイ(1886-1970)設計のプラウンハイムは、ニッタ川沿いの一連のプロジェクトのひとつで、自然景観の良さが売りです。エルンスト・マイは1925~30年にかけてフランクフルトで活動し、このジードルンクはその間に3期に分けて建設されました。
  • 住棟形式は、テラスハウスが主体で、後になると効率化のため住戸の床面積、外部空間が縮小します。
  • 実験的にコンクリートパネルによる建設も試行されています。
(2)プラウンハイムの現在
  • 初期の住棟で実施された外部空間のデザインとして色彩計画がありますが、現在はほとんど維持されていません。賃貸でなく分譲住宅のため、時間の経過とともに壁面の色が変えられ、窓が増設されています。特に色彩は個性の発露となっているかのようで、融通が効くようなシンプルな建築であるからこそ、当時の建築家の思想を住人たちが思い思いに乗り越えていったと言えます。これがひとつの生き続ける住宅団地の姿のように思います。
  • 自然を取り込む要素であった屋上テラスは住民によって室内化されています。
  • テラスハウスは1920年代の建築家たちが好んだ住棟形式ですが、広い外部空間を持つ住宅地計画は現在の都市の財産になっていると感じます。都心部からの交通の便もよく、自然と近接した郊外型の人気のある住宅地として現在まで受け継がれています。

第三部 生き続ける住宅団地 事例2:大ジードルンク・ブリッツ

(1)大ジードルンク・ブリッツ(ブルーノ・タウト他、1925-33年、ベルリン)
  • ブルーノ・タウト(1880-1938)が設計したベルリンのブリッツは、中央の馬蹄形の住棟とテラスハウスを組み合わせたユニークな住棟の配置計画が特徴です。住棟にはさまざまな色彩が施され、変化に富む屋外空間がつくり出されました。
  • 2008年に、ベルリンの他の5つのジードルンクと共に、ユネスコ世界文化遺産に登録されました。近代の大衆のための住宅が世界遺産に登録されたことは特筆すべきことであり、ベルリンという都市の、この分野における重要性がわかります。
  • タウトの特徴は外壁における彩色で、初期から一貫して住棟への彩色を試みています。比較的少ない費用で外部空間に変化をつけ、生活環境を豊かにする目的があったと考えられます。後に彼は「屋外の居住空間(Außenwohnraum)」という言葉を使い、住居から連続するジードルンクの屋外空間の重要さを主張します。
(2)1期と2期の現在
  • 7期まで建設された大ジードルンク・ブリッツのうち、初期に建設された1期と2期は、中央に馬蹄形の中層住棟があり、外側にテラスハウスが広がっています。馬蹄形の住棟は、古くからあった池の形に合わせたもので、水の溜まった窪みを取り囲むように住棟が建設されています。馬蹄形は磁石のようにも見え、ハワードの田園都市のダイアグラムを想起させます。磁石のように人びとを惹きつける中央のシンボルとなっています。
  • 屋外空間はベルリンの庭園記念物に指定され、整備が進められています。自然の成形されていない植物がほどよく公園のような空間を作り出しています。
  • 馬蹄形の空間を各住戸のバルコニーが取り囲んでいますが、対面住戸との距離が100m以上あるためプライバシーは気にならないように思います。馬蹄形の空間は誰でも立ち入れる公共空間で、芝生に寝転んだり、犬を散歩している人がいます。
  • 馬蹄型住棟は近年世界遺産になったことで修復され、その色彩が蘇っています。階段室と屋根階は青く、壁は白く塗る明快な色彩計画が特徴です。馬蹄形住戸の外側に伸びるテラスハウスは、1998年から分譲が始まり個人の所有となっています。テラスハウスはバラエティに富む色彩が特徴的で、各住戸は赤、白、黄、青の4色のいずれかで塗られており、彩色にはっきりとしたルールは見られません。タウトもそのコンセプトについて具体的に説明していません。玄関扉にも独特な色が施されます。青色の住戸はアクセントとして住棟端部に置かれるなどの傾向があります。
  • タウトは住棟列に変化をつけるために住棟をずらし、囲まれた空間をつくっています。また、道路側からは見えない庭側は住民だけの空間として、それぞれの住人がつくり込んでいます。
  • 室内にも鮮やかな色があり、窓からの住棟や木々の眺めが、まるで切り取られた1枚の絵のように見えます。色彩は屋外からだけでなく室内からも楽しむことを想定していると感じました。

約100年前に建てられた住宅団地が今も現役で生き続け、自然が豊かになりむしろ味わいを増していることがわかります。住人に育まれ、生き続けている住宅団地の姿が見えます。日本の住宅団地もこのようになってほしいと思います。

Q&A

Q:ジードルンクは現在も住み継がれているのか、それとも空き家が増え解体が進んでいるのでしょうか?

海老澤  都市のポテンシャルによって異なり、ブルーノ・タウトのブリッツなどは人気がありますが、地方都市では老朽化で取り壊されることはあります。しかし、日本の集合住宅に比較すると、古いものは使える限り残していくという国民的意識があります。ドイツでは、ジードルンク以前の古い住宅も多く残されてきたので、そのひとつという意識だと思います。

Q:アメリカの文化圏で流行っているHOA(Home Onather Association)のような居住者主体のコントロールルールはないのでしょうか。HOAとは日本でいうと団地管理組合のようなものです。

海老澤  プラウンハイム、ブリッツ両者とも居住者協会があり、改修や修繕の指針を出しています。住人には建築家もおり、他にも建物の維持に熱心な人がいるなど、住人が主体となっているように感じます。

大月  所有形態によって住民組織が異なりますが、ドイツでは管理に対するルールは厳格なのではと考えます。

Q:郊外の団地建て替え後に余った敷地に、テラスハウスを建設できないか検討中です。現代の日本において賃貸テラスハウスを供給することについてどうお考えですか?

伊藤  かつて分譲でタウンハウスをやってきましたが、結局戸建ての魅力には勝らず、テラスハウスあるいはタウンハウスは分譲の主流になり得なかったと思っています。共有の壁があるなど制約が多い中で、今の世の中で可能かというと分かりません。

大月  分譲は難しいと思いますが、賃貸だといけるのではないでしょうか。

Q:ブリッツで庭の使い方の変化があれば教えてください。

海老澤  継承されているものとしては、西側の通りはサクラ並木が維持され名所となっています。庭に新しい木を植える時、文化財保護に関する指針があるため許可が必要な場合があります。

Q:現在のジートルンクの居住者階層は低所得者層なのでしょうか?

海老澤  現在でも社会住宅として主に低所得者層が住んでいるところもありますが、世界遺産登録されたブリッツのように新たな価値がつき、若い世代が入居しているところもあります。実際はケース・バイ・ケースですが、本日紹介した2つのジードルンクは人気があるようです。

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