project member

  • 丸山 浩史

    首都圏ニュータウン本部
    千葉常磐業務部 業務管理課

    2000年入社(中途採用)。震災直後から復興支援を希望し、2013年に女川復興支援事務所に異動。プロジェクト初期に携わり、土地区画整理事業や高台住宅地の事業計画、スケジュール管理、住宅配置計画を担当した。

  • 曽根 佳恵

    首都圏ニュータウン本部
    千葉常磐業務部 宅地整備課

    2010年入社。2014年に女川復興支援事務所に異動し、プロジェクト初期~中期のメンバーとして活躍。基盤工事第1課に所属し、工事の進行管理、建設コンサルタントや施工業者との調整に励んだ。

  • 井上 大輔

    宮城・福島震災復興支援本部
    女川復興支援事務所 市街地整備第1課

    2000年入社。丸山、曽根からバトンを託され、2015年に現部署に所属以降、プロジェクト最盛期の土地利用計画や設計の具体化、関係者との合意形成、スケジュール管理などに奔走している。

2011年、未曽有の災害が東北を襲った。
1000年に1度の災害を乗り越え、
1000年に1度の復興へ。
プロジェクトの現メンバー、OBOGたちが集い、
この7年の歩み、それぞれの想いを振り返る。

  • 一刻も早い町の復興に向けて

    宮城県女川町。東北屈指のさんま水揚げ量を誇る人口1万人ほどの小さな町が2011年3月11日、東日本大震災により壊滅的な被害を受けた(※津波の最大浸水高さ約18m、最大遡上高さ約35m、被災率は沿岸被災地で最大)。まちには瓦礫だけが残された。そこには子どもたちの笑い声もなければ、家庭の団欒が夜を灯すこともない。太陽が沈むころには闇だけがまちを包み込む。「現地で最初に目にした光景は、町じゅうを覆い尽くす瓦礫の山と、町の復興に期待を持ちながら狭い仮設住宅で苦労されている町民の姿でした。その一方で、町外に転出する住民が徐々に出始め、復興事業の遅れが許されない状況であることは関係者共通の認識であったと思います。」と語るのはプロジェクト初期段階を担当した丸山浩史。URは女川町と「パートナーシップ協定」を締結し、町の復興事業を全面的にサポートしている。「この規模なら通常20年はかかる事業を、実質6年程度で終わらせる、相当なスピード感が常に求められます。」町の期待を一身に受け、一刻も早い町の復興に向けて町・UR・建設業者の三位一体で全力疾走を続けている。

  • 「ありがとう」の言葉を支えに

    プロジェクト初期の山場は、猛スピードで進む復興事業と並行作業での、大規模な住宅配置計画見直しであった。住民アンケートの結果、町外転出者が想定以上いることが判明し、計画団地の統廃合を含めた抜本的な見直しが必要となった。もとの場所で、もとの暮らしを。そう願う被災者が多いことは丸山も熟知していたが、計画の見直しに伴いそれを叶えられない現実。「被災された方の思いと現実の狭間で当時は毎日深夜まで町職員と造成計画や団地別の戸数配置の見直しについて激論を交わしました。そして町民と膝詰の説明会です。こうした調整が少しでも遅れると町の復興事業が止まる。まさに綱渡りです。」住民説明会は1か月かけて町内33か所全ての仮設住宅を廻るもので、町長自らが説明に同行してくれたという。住みたい土地に住めない。それだけで落胆されてもおかしくはなかった。しかし、丸山の耳に届いたのは“ありがとう”“がんばってください”という被災者からの感謝の言葉だった。「被災された方の方がずっと辛いはずなんです。それでもなお、私たちを気遣ってくれる。このとき、女川町の皆さんと共に町の復興支援に関われることを光栄に思いました」。

  • JR石巻線・女川駅の復旧工事

  • 町民向け現場見学会(2014年9月)

  • 脇役は一人もいない

    2015年3月21日。女川町の中心部に駅が再建された。当日はまちびらきが開催され、復興の兆しとして世界中に発信されたのだ。しかし、その華やかな舞台の影には、関係者たちの悪戦苦闘があった。「復興は一刻も早く進めなければならない。毎日がスケジュールとの戦いでした。まちびらきが日に日に近づく一方、なかなか完成しない工事の場所があったんです。『本当に完成するのか』とずっとヒヤヒヤしていました」と当時を振り返るのはプロジェクト中期に配属した曽根佳恵だ。通常であれば、他社の現場に口を出すことは業界のタブー。しかし、女川町ではUR・ゼネコン・コンサルタントといった立場を越えて復興に携わる全員がひとつのチームになっていた。「もはや自社の現場、他社の現場という考えはなく、そこにいる全員がまちびらきの日までに工事を完成させるという思いでした。脇役なんて一人もいなかった。人間の底力を見た気がしました」。

JR石巻線・女川駅開業/まちびらき(2015年3月)

  • JR女川駅前周辺

  • まちに、光が灯る

    現在の女川担当である井上が赴任したのは、まちびらき直後。住宅・宅地の整備・引渡しのピークを迎えようとする時期だった。「まちを再生し、笑顔を取り戻す。丸山や曽根のほか、多くの復興関係者が灯したものを絶やしてはならないと思いました」。当時の住宅・宅地引渡率は2割程度だったが、わずか3年間で大部分を完了。現在は2018年度の引渡し完遂を目指し、日々生じる課題と対峙しながら即断即決で工事が進められている。誰かが1日とまれば、復興が1日とまる。それほどの熱を帯びた現場には重圧もあるが、帰り道に疲れが消えていく瞬間があると言う。「夜、まちに灯る明りが目に見えて増えていくんです。きっとそこでは家族が温かい夕食を囲んでいる。そう思って、元気をもらっている関係者は多いと思います」。暮らしだけでなく、産業も息を吹き返しつつある女川町。津波伝承の催事など新たな文化も生まれている。ここからまた笑顔あふれる女川町が100年後、1000年後と続いていく。女川町民と復興関係者全員の思いが形となり、今、このまちに光が灯っている。消えない光が。