街に、ルネッサンス UR都市機構

宮城・福島震災復興支援本部から(2015年10月)

2015/10/31

塩竈市朴島(ほおじま)・寒風沢島(さぶさわじま)の災害公営住宅で入居開始

10月31日(土)、塩竈市の朴島と寒風沢島で災害公営住宅の入居式典が開催されました。これらの住宅は、URが塩竈市からの建設要請を受けたもので、朴島には5戸、寒風沢島には11戸の住宅を整備しました。

これらの島々は、松島湾に浮かぶ浦戸諸島のふたつで、朴島は人口約30人、寒風沢島は人口約80人と非常に小さな島々です。両島とも、漁業を主産業としています。

写真:朴島の港の様子。漁船が停泊し、湾内には牡蠣や海苔の養殖設備が広がります<朴島の港の様子。漁船が停泊し、湾内には牡蠣や海苔の養殖設備が広がります>
写真:朴島の災害公営住宅。漁具の洗い場や倉庫を設けています<朴島の災害公営住宅。漁具の洗い場や倉庫を設けています>
写真:寒風沢島の災害公営住宅<寒風沢島の災害公営住宅>

両島には、災害公営住宅と併せて集会所も整備しています。朴島の集会所には定期船の待合室も設けられています。
集会所の建設に当たっては、板倉構法(※)を採用しています。この構法は、少ない大工職人でも建設が可能であり、復興関連工事の最盛期かつ離島という人手を集めにくい島という状況から採用されました。また、多くの地元木材を使用し、地元の林業・製材業の再興へも配慮しています。

※板倉構法とは・・・

板倉構法は日本に豊富な資源のスギを活用して、大工技術を生かすために開発された構法です。柱間にスギの厚板を落とし込んで耐力壁をつくり、屋根や床にもスギの厚板を張ることで、堅牢で長持ちする家、燃えにくい家、冬暖かく夏涼しい家、湿気がこもらず結露しない家をつくることができます。耐力壁の壁倍率と防火構造の国土交通大臣の認定を取得しています。

写真:朴島集会所。焼スギを用いた外壁に趣があります<朴島集会所。焼スギを用いた外壁に趣があります>
写真:寒風沢島集会所。こちらも外壁に焼スギを用いています<寒風沢島集会所。こちらも外壁に焼スギを用いています>
写真:朴島集会所の内観。木のぬくもりを感じる柔和な雰囲気です<朴島集会所の内観。木のぬくもりを感じる柔和な雰囲気です>

入居式典ではそれぞれの島で、URから市へ、市から入居代表者へと鍵の引渡しを実施しました。
塩竈市の佐藤昭(あきら)市長から入居者の方々へ「震災で多大な苦労をされたと思うが、ふるさとである浦戸に残っていただき感謝している。復興の第一歩として住環境が整ったので、今後は生計のため産業の振興にぜひ立ち上がっていただきたい。」と、感謝と激励の言葉を贈りました。また、入居者の方々からは「島の生活に合った住宅を造るため、多くの意見交換の場を設けていただいた配慮に感謝している」や「仮設住宅と異なり、設備が整った住宅に移れることがうれしい」といった感謝や喜びの言葉を聞くことができました。

写真:朴島の鍵渡し式で固く握手をする佐藤市長(左)、入居者代表(中央)とUR稲垣宮城・福島震災復興支援本部長(右)<朴島の鍵渡し式で固く握手をする佐藤市長(左)、入居者代表(中央)とUR稲垣宮城・福島震災復興支援本部長(右)>
写真:寒風沢島の鍵引渡し式でも固い握手を交わしました<寒風沢島の鍵引渡し式でも固い握手を交わしました>

URからは、プランターを入居者の方々へ寄贈しました。これらのプランターは漁業が盛んな浦戸諸島らしく、不要となったブイを再利用してUR職員のボランティア活動を通じて制作しました。

写真:URからはブイ・プランターを寄贈(朴島)<URからはブイ・プランターを寄贈(朴島)>
写真:島の歴史にちなみ、西洋軍艦「開成丸」の形を模したプランター(寒風沢島)<島の歴史にちなみ、西洋軍艦「開成丸」の形を模したプランター(寒風沢島)>

寒風沢島での入居式の後には、入居者同士の祝賀会が催され、災害公営住宅完成の喜びをわかちあっていました。

写真:祝賀会の様子<祝賀会の様子>

今後、URは浦戸諸島桂島の災害公営住宅の完成に向けて取組んで参ります。

写真:佐藤市長、稲垣本部長、入居者の方々らで集合写真(朴島)<佐藤市長、稲垣本部長、入居者の方々らで集合写真(朴島)>
写真:寒風沢島でも集合写真を撮影しました<寒風沢島でも集合写真を撮影しました>

2015/10/24

南三陸町志津川地区で観光交流拠点の造成完了見学会

10月24日(土)、南三陸町志津川地区で、観光交流拠点整備予定地の見学会が開催されました。このイベントは、区画整理地内における観光交流拠点の造成工事が先行的に完了したため、町民をはじめ関係者へ広くPRする機会として、南三陸町、南三陸町CMJV及びURにより開催されたものです。観光交流拠点には南三陸さんさん商店街の店舗がメインとなって移転する他、BRTの駅や駐車場等が整備される予定で、文字通り南三陸町の観光拠点になる場所です。

志津川地区の土地利用計画図<志津川地区の土地利用計画図>
復興工事が進む志津川地区<復興工事が進む志津川地区>
造成が完了した観光拠点エリア。海抜約10Mまでかさ上げされました<造成が完了した観光拠点エリア。海抜約10Mまでかさ上げされました>
エリア内に計画されている平屋の商店街(仮)。今後は南三陸町が施設の整備を進めていきます<エリア内に計画されている平屋の商店街(仮)。今後は南三陸町が施設の整備を進めていきます>

イベント当日は、初めに南三陸町の佐藤仁(じん)町長が「一歩いっぽではあるが、南三陸町の復興が進み、町の有り様が見えてきたことがとてもうれしい。今日は皆さまにこの地域がどのような街になっていくのか、思いを馳せていただけたらありがたい」と今後のまちづくりへの期待を込めてあいさつされました。

あいさつされる佐藤町長<あいさつされる佐藤町長>

次に、株式会社南三陸まちづくり未来の三浦洋昭(ひろあき)社長が「被災後、4年半の間、さんさん商店街と伊里前商店街は堅調であるのは、震災前から積極的に外部発信してきた結果だとも感じている。現在は、両商店街から合わせて39店のテナントが、決意を胸に秘め、来年3月3日の新しいさんさん商店街のオープンに向けて準備を進めている。課題も出てくるとは思うが、前向きに頑張っていきたい」と力強いあいさつをされました。

あいさつされる三浦社長<あいさつされる三浦社長>

次に、UR南三陸復興支援事務所の土田所長より「2年前からこのエリアの造成を始めた。今日、完成の日を迎えることができて感慨深い。現在、高台の山を掘削して低地部へ土を運搬しかさ上げ工事を行っている。加えて、高台部分では約350区画の防災集団移転の宅地のうち4割を今年度中に、残る6割を来年度までに引渡す予定である。災害公営住宅も、来年度中に全て竣工する予定である。このように着々と工事は進んでいる。引き続き、関係者とともに工事に取り組んでいく」と工事の進捗状況を説明しました。

事業概要を説明するUR土田所長<事業概要を説明するUR土田所長>

会場には事業説明ブースを設け、来場者へどのような街になるのか説明する場を設けました。

<来場者へ計画を説明するUR職員>

その他、重機運転席への試乗や芋煮のふるまいも行われました。

写真上:重機試乗の様子、写真下:芋煮の振る舞いブースの様子<写真上:重機試乗の様子、写真下:芋煮の振る舞いブースの様子>
見晴台から見た志津川地区の様子<見晴台から見た志津川地区の様子>

この見学会には238名の来場者が訪れ、多くの方に志津川地区の復興事業の進捗状況をご理解いただく機会となりました。

徐々に将来の街が形になりはじめている南三陸町の復興にむけて、URは引き続き全力で取り組んで参ります。

CMJV・UR集合写真<CMJV・UR集合写真>

2015/10/15

多賀城(たがじょう)市宮内地区で市内最後の災害公営住宅建設工事が始まります

10月15日(木)、多賀城市の宮内地区災害公営住宅の起工式が行われました。当地区は現地再建による復興を目指す宮内地区被災市街地区画整理事業区域内にあり、市内で4地区目、最後に工事着手した災害公営住宅です。6階建て2棟計50戸の集合住宅で、将来の津波被害に備え住戸を2階以上に配置し、1階には集会所や高齢者相談所等が配置されています。また、周辺に高台がないことを鑑みて、津波避難ビルの機能を備えています。当住宅の建設が完了すると、市内合計532戸全ての災害公営住宅が竣工することになります。

写真:建設予定地<建設予定地>
写真:宮内地区完成イメージ図<宮内地区完成イメージ図>

起工式では、施主である多賀城市の菊地健次郎市長が「当住宅が完成すると、本市の災害公営住宅の整備は完了し、住まいの再建については礎ができあがり、復興の発展期に移行していくことができる」とあいさつされました。また、工事発注者のUR宮城・福島震災復興支援本部の稲垣本部長は「関係者と密接に連携して、安全第一で、一日も早く被災された皆さまにご入居いただけるよう、完成にむけて全力を尽くしていきたい」と着工にあたっての意気込みを述べました。

写真:稲垣本部長による鍬入(くわいれ)の様子<稲垣本部長による鍬入(くわいれ)の様子>

平成28年12月の竣工を目指し、URは鋭意建設工事に取り組んで参ります。

2015/10/14

高木復興大臣がUR事業地区を訪問

10月14日(水)、高木毅(つよし)復興大臣が就任後初めて、URが復興市街地整備事業に取組む石巻市新門脇(しんかどのわき)地区と東松島市野蒜(のびる)北部丘陵地区を訪問されました。

新門脇地区は、現在、地区西側の宅地嵩上げや地区内を横断する高盛土道路のための盛土工事が進められているところです。この高盛土道路は津波被害を軽減するための堤防の役割を持っています。

写真:地区内を横断する高盛土道路の工事の様子<地区内を横断する高盛土道路の工事の様子>
写真:高木大臣(右)と握手を交わすUR宮城・福島震災復興支援本部の稲垣本部長<高木大臣(右)と握手を交わすUR宮城・福島震災復興支援本部の稲垣本部長>

新門脇地区では、石巻市の亀山市長から当地区及び隣接地に計画されている「石巻市南浜地区復興祈念公園」の事業概要について説明がありました。

写真:亀山市長(中央)から地区の説明を受ける高木大臣<亀山市長(中央)から地区の説明を受ける高木大臣>
写真:東名駅周辺の様子。宅地整備工事が鋭意進められています<東名駅周辺の様子。宅地整備工事が鋭意進められています>

野蒜北部丘陵地区では、UR東松島復興支援事務所の清水所長から当地区の事業概要について説明をしました。

写真:事業の進捗や復興計画を熱心に聞かれていました<事業の進捗や復興計画を熱心に聞かれていました>

高木大臣は、国土交通副大臣を務めていらっしゃった平成26年3月にも両地区を訪れており、当時の状況から現場の状況が大幅に進捗していることに驚かれていた様子でした。

URは今後も被災地の復興に向け、全力で取り組んで参ります。

2015/10/1

多賀城市新田(にいだ)地区災害公営住宅で入居開始

10月1日(木)、多賀城市で2地区目となる新田地区災害公営住宅で入居式が行われました。
多賀城市では、4地区532戸の災害公営住宅を計画しており、その全てをURが建設する予定です。

当地区は新田浄水場の跡地に建てられた、1LDKから3LDKまでの4タイプの住戸から成る3階建て3棟、計48戸の集合住宅です。
周辺の住宅に配慮して低層建物としたほか、コミュニティ活動やバリアフリーを重視して設計しました。また、建物外観の色彩を市内災害公営住宅全4地区で統一していることも特徴的です。

図:新田地区の配置図<新田地区の配置図>
写真:1号棟、2号棟の外観。左手前がコミュニティの場として計画した「みんなの広場」<1号棟、2号棟の外観。左手前がコミュニティの場として計画した「みんなの広場」>
写真:3号棟の外観<3号棟の外観>
写真:住宅(写真右)の西側には七北田(ななきた)川が流れており、土手はウォーキングに最適だそうです<住宅(写真右)の西側には七北田(ななきた)川が流れており、土手はウォーキングに最適だそうです>

当日は、棟内に整備された集会所で入居式が行われ、鍵の引渡しが行われました。
最初に、式典主催者である多賀城市の菊地健次郎市長とUR宮城・福島震災復興支援本部の稲垣本部長が「入居される皆さまが一日も早く新生活に慣れ、地域の皆さまと和気あいあいと生活が送れることを心より願っている」、「竣工にあたり、地域住民ほか関係者の皆さまの多大なご協力をいただき、この場を通じて感謝申し上げる。入居される皆さまには当住宅を拠点に、地域住民の皆さまと一緒に新生活を育んでいただけたらと思う」とそれぞれあいさつしました。

写真:あいさつされる菊地市長<あいさつされる菊地市長>
写真:あいさつする稲垣本部長<あいさつする稲垣本部長>

次に、来賓者である宮城県の三浦土木部次長(村井嘉浩(よしひろ)県知事の代理)と伊藤信太郎衆議院議員から「入居される皆さまが安全で安心な生活が送れることを願っている」、「当住宅の竣工が、入居される皆さまの心の復興に繋がることを心より願っている」とそれぞれ祝辞をいただきました。

写真:祝辞を述べられる伊藤議員<祝辞を述べられる伊藤議員>

鍵の引渡しの後、入居者代表の方からは「集合住宅に住むのは初めての経験なので不安もあるが、新たな仲間との生活は楽しみでもある。また、仮設住宅にお住まいの方が一日でも早く災害公営住宅に住めるように関係者のみなさまにお願いしたい」と入居にあたっての心境と未だ避難を余儀なくされる方々への思いをお聞かせいただきました。

写真:入居者代表(写真中央の2名)への鍵の引渡しの様子<入居者代表(写真中央の2名)への鍵の引渡しの様子>

URは引き続き、多賀城市での災害公営住宅の建設に全力で取り組んでまいります。

写真:握手を交わす菊地市長とUR稲垣本部長<握手を交わす菊地市長とUR稲垣本部長>

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