街に、ルネッサンス UR都市機構

巻頭エッセイ まちの記憶(12)角田光代 旅行者でしかないとしても

URPRESS 2017 vol.49 UR都市機構の情報誌 [ユーアールプレス]


まちの記憶(12) 旅行者でしかないとしてもphoto・Sato Shingo

街灯の少ない夜道を車で走っていると急に明るくなって、美しい建物があらわれた。新しい女川駅舎である。この駅舎の前、横断歩道を渡った向こうに、これもまた真新しい町がある。正確には「町」ではなくてシーパルピア女川という商店街で、その先にはハマテラスという市場がある。本当にぴかぴかに新しくてお洒落で巨大なので、新しい町が突如あらわれたかのように思える。
突如なんてことは、もちろんないのである。この周辺一帯の町も商店街もぜんぶ津波に流されて、そこからひとつひとつ積み上げていってここまできたのだ。二年に一度ほどしか、三陸の町を訪れない私のような旅行者は、その変化にいちいちびっくりしてしまう。けれどもこの町に暮らす人たちは、その変化の中で暮らし、考え、立ち止まり、進み、積み上げている。以前の町の風景を思い出して、真新しい光景に戸惑う人もいるのだろう。戸惑ったからといって、なくしたものが戻ってくるはずもないから、前を向いて歩くのだろう。

駅舎は、飛び立つウミネコをイメージして作られたという。翌朝、太陽の光の下で駅舎と向き合うと、なるほど、羽を広げた白い鳥に見える。威厳があるのに、どことなくかわいらしい。駅舎の待合室には年配の女性が大勢座っておしゃべりをしている。駅舎内にある温泉施設、ゆぽっぽが開くのを待っているのだという。

ここ女川をはじめ、三陸の町にはじめてきたのは、二〇一一年の四月である。新聞社の依頼で、地震の被害に遭った町を実際に歩いて何か書いてほしいと依頼されたのである。なんだか「見学」しにいくようで、一度は依頼を断り、でも、その地にいかないということは、そのときの私にとっては知らんふりを決めこむようなことに思えて、やっぱりいかせてくださいと頼んだ。それでもやっぱり気持ちは複雑だった。
それから一年か二年に一度訪れている。崩壊した家々や商店が撤去され、広々とした土地が晒され、盛り土がなされ、新しい線路ができて橋ができて駅舎ができて、バスや電車が走り出すのを、まったくの旅行者の目で見てきた。地震の後で町と縁ができたことを、私はずっとうしろめたく感じている。東北の旅で会う人は、そんな私の気持ちを知っているかのように、「きてくれてありがとう」「忘れないでいてくれてうれしい」と言ってくれる。お礼を言うのは私のほうだと、いつも申し訳なく思う。

それでもやっぱり、私は知るべきだったし、知り続けるべきだとも思う。新しい駅舎が、町が、光景が、「突如」出現したのではないことを、自分の肝に銘じるために。

プロフィール

かくた・みつよ

作家。1967年、神奈川県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。1990年「幸福な遊戯」で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。『対岸の彼女』(文藝春秋)での直木賞をはじめ著書・受賞多数。最新刊は『なんでわざわざ中年体育』(文藝春秋)。

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