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未来を照らす(11)女子レスリング選手 伊調 馨さん

URPRESS 2017 vol.48 UR都市機構の情報誌 [ユーアールプレス]


未来を照らす(11)「理想のレスリングは、まだできない。それをみつけるのがこれからの人生」

世界選手権優勝10回、オリンピック4連覇の快挙を達成、そして国民栄誉賞受賞と、いまや名実ともに日本を代表するアスリートとなった伊調 馨選手。
自分の理想とするレスリングを追い求める求道者のような一面と、オフを楽しむ普通の女性の顔をもち、飾らない人柄が魅力です。
レスリングの面白さとこれからの生き方について、率直に語っていただきました。

(ALSOK)女子レスリング選手 伊調馨さん

いちょう・かおり
1984年青森県八戸市生まれ。
兄と姉の影響で子どもの頃からレスリングを始め、愛知県の中京女子大学附属高校から中京女子大学(現・至学館大学)を経て、現在はALSOK所属。
アテネ、北京、ロンドン、リオデジャネイロオリンピックで女子個人として史上初の4大会連続金メダルを獲得。世界選手権優勝10回。2016年に国民栄誉賞を受賞した。

2016年を振り返りオフの時間を満喫中

リオデジャネイロオリンピックを終えて、今は少しゆっくりしています。オリンピック前までは練習のことを考え、遊びも本気で楽しめなかったんですが、今は疲れるまで遊ぼうと思って。先日は青森時代からの親友家族とテーマパークに行きました。日本の観光をアピールするお仕事でニューヨークに行ったときには、2泊4日の弾丸スケジュールでしたが、空き時間に五番街で買い物したり、ミュージカルも見たりして存分に遊びました。

でも、ゆっくりしていても、体を動かしたいなとか、レスリングをやりたくなるので(笑)、時間があるときは走ったり、高校生たちとレスリングをしたりしています。筋肉はすぐ落ちるので体重が3~4キロ減りましたが、脂肪がつかないように、筋トレなどで体が変わらないように努めています。

2016年10月、国民栄誉賞の贈呈式で、金色の西陣の帯を贈られる伊調さん。
写真提供 公益財団法人日本レスリング協会

「わからない」のがレスリングの魅力

レスリングを始めた頃のことは、正直言って覚えてないんです。3歳ということにしていますが(笑)、まだオムツをしていた頃から、兄や姉がやっている横でマット運動をしたり、父とじゃれたりしていたのが最初だったと思います。

土曜と日曜に、家の近くの「八戸クラブ」に通っていたのですが、2時間のうち、基礎体力練習が1時間で、レスリングをするのは45分くらい。友達と一緒に厳しい練習に挑んで、コーチにあおられるのが楽しかったですね。週に2回しかないのがさびしくて、もっとやりたいと思っていました。

試合には、幼稚園の頃から出ていました。小学1年生のときに3回戦で初めて男の子と当たり、その子の顔が怖くて、泣いて試合放棄したこともあります(笑)。でも、2年生で再度その子と当たったときは、免疫がついたせいか泣かずに、延長戦の末に勝ちました。

その頃に教えられて今も心に残っているのは、挨拶をすることと、誰よりも先に行動する先行性ですね。指示を受けたり誰かがやっているのを見て始めたりするのではなく、自分から積極的に動いて、誰よりも先に練習を始めるとか。それは今も身に付いています。当時、女子レスリングはまだオリンピック種目になっていなかったですし、競技人口も少なかった。でも、そんなことに関係なくレスリングが好きでした。常にやるべきことや反省することがあるので、これまでやめたいとかつらいと思ったことは一度もありません。

子どもの頃は勝つことがうれしくて、純粋にレスリングが楽しかったですね。今は少し「好き」の意味が変わりました。

レスリングの何が好きか…?そうですね、「わからないこと」ですね。レスリングって、やればやるほど難しくなるし、まだまだやりたいことも、やれていないこともたくさんある。どれだけ時間があっても足りないんです。もっと追究したい、強くなりたいと思っています。

留学と男子合宿参加が大きな転機に

レスリングに対する気持ちが大きく変わったのは、北京オリンピックが終わって、カナダに留学したことが大きいです。

カナダでは、週に2、3回、大学生やOBにまじってレスリングをやっていました。それまでの自分は、勝たなければいけないという世界にいて、プレッシャーでガチガチになっていた部分がありました。でもカナダでは、みんな勝つことにこだわりなく、本当にレスリングを楽しんでいたんです。「負けても殺されるわけではないし、死ぬわけではないでしょう」と言われて、はっと目が覚めたというか。純粋に好きだからレスリングをするという気持ちを思い出したんです。

2015年に行われた全日本選手権決勝で、フォール勝ちをおさめた伊調選手。©ヤブキフォト

もうひとつ、カナダから帰国後、男子ナショナルチームの合宿に参加したのも、大きな転機になりました。正直、その頃はレスリングを続けようか迷っていた時期でした。でも、その合宿でこれまで教えてもらったことのない説明の仕方や、トレーニング方法を知って、すごく新鮮でした。

女子に比べて選手層が厚いなか、絶対にメダルを取るというハングリー精神をもって練習に取り組んでいる姿も衝撃でした。そういう姿を見て、自分はレスリングの技術も考え方も、向上心もまだまだだ。中身のない金メダリストになってはいけない、と心から思いました。

合宿では、初心に返って0からやり直しました。私は教わったことを頭で理解しないと体が動かないので、最初の頃は考え過ぎて頭が痛かったくらい。試合では本能的な部分も確かにあると思いますが、基本はやはり練習の賜物なんです。

男子は減量が厳しい分、食事面の意識も進んでいました。それ以来、3大栄養素をしっかりとり、サプリメントやプロテインも必ず飲むなど、何が体のためになって、何を食べたらいいかを常に考えるようになりました。今は、健康おたくです(笑)。

この2つの出会いがなかったら、きっと3連覇も4連覇もしていなかったと思いますし、本当に感謝しています。

自分にとって100点満点のレスリングは、まだはっきりとわかりません。リオデジャネイロオリンピックでも、自己採点では中身は5点。金メダルに免じて30点です。

高得点の要素は、そのときどきに応じて自分が練習してきた技や、やりたかった展開にもっていくことができることかな。今まで自分のなかで高得点をあげた試合はありませんが、あえて言えば、ロンドンオリンピックですね。1回戦から4試合すべて、思い通りに技が決まったのが、その理由です。

レスリングを軸にいろんなことに挑戦したい

中学校まで青森県の八戸市で過ごしました。八戸は雪はあまり降りませんが、やませの影響で風が冷たくて寒いんです。その分、魚がすごくおいしいです。今、東京で一人暮らしをしていますが、ときどき八戸の魚を送ってもらうほどです。

北京オリンピックが終わった後、実家はUR都市機構が整備した八戸ニュータウンに引っ越して、今は父と姉が住んでいます。私が小学生の頃は山だった所が開発されて、きれいな新しい家がどんどん増えているんですよ。子どもが多くて小学校がいっぱいになったので、今度、家の前に小学校ができるんです。スーパーに行ってもすごい人ですし、新しいまちには活気がありますね。今も年に何回か帰りますし、八戸の実家が一番好きです。

東日本大震災では、八戸市の海沿いも大きな被害に遭いました。そのときは、自分に何ができるのか、青森に帰ろうかとすごく考えました。でも、自分ができることは、スポーツマンとしていいレスリングをすることだ。

頑張っている姿を見てもらうことで、元気を出してもらえれば、と自分に言い聞かせて、懸命に取り組みました。

これからの夢は、結婚もしたいですし、ママになるのも夢の一つです。子どもが生まれたらママが第一優先(笑)。そうなってくると選手は厳しくなるのかな、とも思います。

指導者にも興味があります。ちびっこからナショナルチームまで、それぞれに面白さがあると思うので、どの世代をやっても楽しいだろうなと思います。

東京オリンピックに関しては、まだ決断していません。それまでは、自分探しというか、これまでレスリングばかりで、まだ触れていないものがたくさんあるので、やりたいことや興味のあることに取り組みたい。

でもやっぱりレスリングは一番好き。レスリングを軸に、いろんな活動をしていければと思っています。

【阿部民子=構成、佐藤慎吾=撮影】

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