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URPRESS 2014 vol.45 UR都市機構の情報誌 [ユーアールプレス] URPRESS 2014 vol.45 UR都市機構の情報誌 [ユーアールプレス]

復興の「今」を見に来て!第7回 - 漁師のまちの暮らしにあった復興を早期に実現 釜石市 岩手県

福田正紀=ドローン撮影唐丹湾の海側上空から眺める花露辺地区。

UR都市機構は釜石市と平成24(2012)年3月に協力協定を締結し、片岸、鵜住居(うのすまい)、花露辺の3地区の復興まちづくりを推進。
住民が早期に復興計画を作成した花露辺地区の復興支援事業は、今年2月にすべて完了した。

花露辺と書いて「けろべ」と読む。その名の由来はアイヌ語で「おだやかな里」を意味する「ケロッペ」。釜石の市街地から南へ約12キロ、唐丹(とうに)湾に面した花露辺地区は、その名のとおり、山と海に囲まれたおだやかな集落だ。人口約220人、約70世帯のほとんどが漁業に従事し、ワカメやホタテ、ウニやアワビなどの養殖を生業(なりわい)としている。

朝6時過ぎ。唐丹漁港を訪ねると、7~8センチほどのホタテ貝の山を前に、地区の人たちが「耳吊(づ)り」と呼ぶ、貝の端に穴を開けてテグスを通す作業の真っ最中だった。皆さん手をてきぱき動かしつつも楽しそうにおしゃべりしていて、時折笑い声が響く。これこそが、東日本大震災以降、花露辺の人たちが取り戻すべく努力してきた「おだやかな里」の日常の光景だ。

海の近くに住み続けるために

花露辺地区は東日本大震災で14.5メートルの津波に襲われ、約70世帯のうち25世帯の家屋が流失。73隻あった舟は72隻が流された。そのような厳しい状況のなかでも、町内会役員のリーダーシップのもと、持ち前の団結力を発揮し、早い段階で住民合意の復興計画を作成。生業である漁業と住居の再建を早期に実現させたことで注目を集める地域である。

もともと「町内はひとつの家族」という意識を持ち、結束力が強い花露辺地区。避難訓練をほぼ全員参加で定期的に行ってきたこともあり、震災当日も高台にある漁村センターに130人ほどが避難。食糧や燃料を持ち寄り、暖房も明かりも確保されたなかで、温かいおにぎりを食べていたという。

翌朝、津波による惨状が明らかになり愕然としたものの、「自分たちは海から離れては暮らしていかれないこと」をみんなで確かめ合い、海の近くに住むためにはどうしたらいいのか、何が必要かの話し合いをスタートした。「震災前から過疎化が進む山間地域でもあり、なるべく早く“ここに帰って来られるよ“ここで以前のように仕事できるよ”という希望を持ってもらいたかったから、急ぎました」と振り返るのは、当時の町内会長であり、現在は顧問を務める下村恵寿(しげとし)さん。全体計画、そして住居の再建については下村さん、また生業である漁業関連については、町内会役員であり唐丹漁協の理事も務める大瀬司さんがリーダーとなり、役割を分担しながら住民の意見をまとめ、必要な手配を行っていった。

ワカメの養殖をメインとする漁師は、たいてい大きさの異なる舟を2台持ち、養殖作業用とウニ漁用などで使い分ける。
ワカメの養殖をメインとする漁師は、たいてい大きさの異なる舟を2隻持ち、養殖作業用とウニ漁用などで使い分ける。
唐丹漁港でホタテの耳吊り作業をする人たち。出荷するまでに、ホタテとアワビは5年、ウニは4年かかる。
唐丹漁港でホタテの耳吊り作業をする人たち。
出荷するまでに、ホタテとアワビは5年、ウニは4年かかる。

仮設住宅も防潮堤も造らない

アワビやウニを食べにきてください。

左からUR都市機構釜石復興支援事務所所長 安藤誉和、花露辺町内会顧問の下村恵寿さん、唐丹漁協理事の大瀬司さん、UR都市機構釜石復興支援事務所市街地整備課主幹 神谷泰彦。下村さんと大瀬さんの同級生コンビが、未来を見据えた復興計画で住民をリードした。

避難所では、女性陣が毎日30キロのお米を炊いて3度の食事を用意。避難者も手持ち無沙汰にしているわけではなく、町内会の役員が毎日発表するスケジュールに合わせて、協力して集落や海岸の片づけ作業を進めた。「今では笑い話ですが、各家庭の冷凍庫からアワビやウニ、ホタテなどが大量に持ち込まれ、避難所の食事は豊かでしたよ」と大瀬さん。それを受けて「私はウニやアワビの食べ過ぎで痛風になりました」と下村さんが打ち明けた。

被災した人たちが入居する空き家などの手配を整え、震災からわずか1カ月後には、避難所を閉鎖。そして住民同士の話し合いの中で、仮設住宅も防潮堤も造らないことを決めた。

「山間地域で平地が少ないこともあり、本設の住宅の建設を優先して、早く戻るために、仮設住宅は造らないと決めました。防潮堤は、造ることによって失われるものの大きさを考えて、造らないですむ方法を模索しました」と下村さん。

防潮堤ができたら、朝起きてすぐに自宅から海の様子を見て漁に出るか否かの判断をすることができなくなる。しかも防潮堤建設の工事に必要とされる5年の間、漁はどうするのか、水産加工の作業所をどこに確保するのかなどの課題があった。

失った舟や漁具の購入などの手配は大変だったが、その過程で漁師の団結力がより強まったと大瀬さんは言う。そして震災から3カ月後には、花露辺地区としての復興についての意見をまとめ、岩手県内で最も早く、住民と行政の間でまちづくり計画を合意した。

計画実現のためにUR都市機構も尽力

釜石市と平成24年3月に協力協定を結んだUR都市機構は、釜石市・ゼネコンと三位一体となり、花露辺の人々が描いた復興計画の実現のため、災害公営住宅の整備、復興市街地整備を進めてきた。

花露辺地区の復興計画は、津波の被害を受けた海に近い低地部を居住禁止区域とし、水産関連の施設や作業用地に利用するというもの。そして盛土して斜面を造成し、海抜16メートル地点に堤防の役目を果たす道路を左右に渡す。住宅は、海抜60メートルの高台、漁村センターがあった土地に、災害公営住宅を建て、自力再建の人たちのための宅地も整備するという計画だ。

とはいえ、岩盤の多い急峻な崖地での難工事。それを一貫して請け負い、地元に入り込んで要望を聞きながら実現させていったのが、株木建設だ。

「難しい工事ではありましたが、花露辺の方々が協力的で、やりがいがありました。下村さんが住民の方々に“それぞれが勝手に工事の人に意見を言うな、何かあったら俺に言ってくれ”と、とりまとめてくださり、苦情もまったくありませんでした」と株木建設三陸作業所の末松泰三さんは振り返る。

「花露辺の皆さんは心よく受け入れてくれて、仕事しやすかった。ウニもたくさんごちそうになりました」と、株木建設の末松泰三さん(左)と、臼倉伸昭さん(右)。
「花露辺の皆さんは心よく受け入れてくれて、仕事しやすかったです。ウニもたくさんごちそうになりました」と、株木建設の末松泰三さん(左)と、臼倉伸昭さん(右)。

漁師の暮らしに合わせた住宅

災害公営住宅の建設に当たってUR都市機構では、漁業従事者の生活スタイルや要望を細かく伺い、生活に合わせた工夫を随所に盛り込んだ。例えば潮水をかぶった軽トラックや合羽、漁具を洗うための水場をエントランス脇に造ったり、各住戸の玄関脇やベランダに漁具を置き、作業できるスペースを確保するなど。また、集合住宅の1階部分、窓から海が見える見通しのよい場所に造られた集会室には、避難所として使うときのことも考え、大勢で作業できるスペースのある台所や和室も完備した。平成25年12月に引き渡されたこの災害公営住宅で暮らす葛西登さんは、ここは本当に快適だと笑みをうかべる。「毎朝、起きてすぐに海が見えて風の変化も感じられるので、漁に出るか否かの判断もできる。夏は涼しいし、冬は暖かいし、こんな立派な住宅に住めて、本当に幸せだ」

集会室は健康体操など住民の集まりで頻繁に利用されている。

隣りまちでの仮設住宅生活を経て、災害公営住宅に入居した葛西登さん、孝子さん夫妻。ベランダで野菜づくりも楽しんでいる。
隣りまちでの仮設住宅生活を経て、災害公営住宅に入居した葛西登さん、孝子さん夫妻。ベランダで野菜づくりも楽しんでいる。
災害公営住宅。高齢者が多いことから、玄関の外と中それぞれにベンチを置いたり、中の様子がうかがえる半透明のガラス窓を玄関に設置するなどの配慮も行った。
災害公営住宅。高齢者が多いことから、玄関の外と中それぞれにベンチを置いたり、中の様子がうかがえる半透明のガラス窓を玄関に設置するなどの配慮も行った。

加工作業用地を先行整備

「1日でも早い生業再生の要望を受け、養殖器材や資材の保管施設、水産加工作業用地などのために、低地部を一部先行整備し暫定的に利用できるように協力もしました」と語るのは、UR都市機構釜石復興支援事務所市街地整備課主幹 神谷泰彦。ワカメは生で出荷すると年間で1世帯あたりの平均収入は約200万円だが、塩蔵加工して出荷すると600~800万円になる。塩蔵加工するためには、作業場が不可欠だ。収入の違いも大きいが、さらに重要なのは、加工作業は家族みんなで行うので、お年寄りも労働力を提供でき、家族の一員であることが実感できることだと下村さんは言う。「加工作業ができない震災後の2年間は、暇を持て余す人が多く、見ていてつらかった。だから1日でも早く加工作業場を建設したかった。URさんには災害公営住宅をはじめ、完成までの期限などだいぶ無理なお願いをしましたが、こちらの思いを受け止めて協力してくださり、感謝しています」

水産加工施設のための先行整備街区は平成26年1月に引き渡し完了、そして今年2月、すべての市街地整備が完了した。一角には、住民の方々の要望を受けて、幼稚園の運動会や祭りが開ける広場も誕生した。その広場を眺めながら、UR都市機構釜石復興支援事務所所長 安藤誉和(よしかず)は振り返る。「災害公営住宅も水産加工施設も広場も、使ってもらえてこそ意味があるので、住民の方々に利用されているのを見聞きするとうれしくなりますし、苦労した甲斐があります。花露辺は生業再生と住宅再建をセットで早期に実現できた成功事例です」

山間にたつ4階建ての災害公営住宅
山間にたつ4階建ての災害公営住宅
釜石市へ

岩手県東南部に位置する釜石市は、海と山に囲まれた風光明媚なまち。近代製鉄発祥の地であり、古くから鉄と漁業で栄えてきた。JR釜石駅までは、東北新幹線の新花巻駅から快速で約1時間40分。花露辺地区のある唐丹町へは、釜石市中心部から車で約20分、三陸鉄道南リアス線で唐丹駅まで約15分。

釜石市へ
水産物が自慢
釜石市がある三陸海岸の沖合は、親潮と黒潮がぶつかる、世界三大漁場のひとつといわれる良漁場。定置網漁や養殖業、採貝藻漁業などが盛んで、鮭やブリ、サバ、ヒラメのほか、ワカメや昆布、ホタテ、ホヤ、アワビなどさまざまな魚介類が味わえる。
釜石の観光・物産などの問合せ
釜石観光物産協会
TEL:0193-22-5835

【妹尾和子 = 構成、青木登 = 撮影】

動画

復興の「今」を見に来て! 第7回 復興の「今」を見に来て! 岩手県 釜石市 花露辺地区

岩手県 釜石市 花露辺地区

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