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未来を照らす(5) Special Interview Fumiya Fujii
「僕の人生の根っこには故郷・九州への愛がある」

1980年代にチェッカーズのリードボーカルとして活躍、 解散後は歌手としてだけでなく、幅広い分野で活動を続ける藤井フミヤさん。 故郷の久留米で過ごした子ども時代からチェッカーズの誕生、そしてこれからの生き方まで、 かっこよく年を重ねているフミヤさんの、人生の根っこにある大切なものをうかがいました。

ミュージシャる 藤井フミヤさん
ふじい・ふみや
1962年福岡県久留米市生まれ。
83年、チェッカーズのリードボーカルとしてデビュー。92年に解散後はソロ活動を開始。
今年6月に“藤井フミヤ&憲武とヒロミ”名義で新曲「友よ」を配信限定でリリース。
「情熱大陸SPECIAL SUMMER TIME BONANZA’15」は、
8月1日に大阪・万博記念公園もみじ川芝生広場、8月22日に東京・夢の島公園陸上競技場で開催。

濃密な人間関係のなかで育った子ども時代

生まれ育ったのは、福岡県の久留米市です。山川町といって、山と川に挟まれた町で育ちました。見渡す限り山と川と田んぼで、遊ぶのはいつも自然のなか。ザリガニ釣りをしたり、山にカブトムシを捕りにいったり、川で泳いだり。昔ながらの昭和の遊びです。

弟の尚之(チェッカーズのサックスプレーヤーとしても活躍)とも、よく遊んでいましたね。あの頃の田舎の子どもって、2、3歳の年の差があっても、みんなで遊ぶのが当たり前。近所づきあいも濃厚で、自分の家に風呂があるのに、あえて友達の家へ風呂をもらいにいって、そこの家の兄ちゃんとお菓子食べながらしゃべったり。お花見やお祭りとか、近所同士で大人も子どもも一緒に集まって宴会なんていうのも、普通にありましたね。コミュニケーションがすごく密だった気がします。

いまはもう、東京で暮らしている時間のほうが長くなっているけれど、こうやって九州で生まれ育ったことは、いつも僕の根っこにありますね。

仕事でいろんな土地に行きますが、やっぱり九州は違うんですよ。九州人って独特で、「あ、九州、どこ?」みたいな感じで、町の名前を言われるとだいたいわかるし。芸能界にも九州出身の方は多くて、タモリさんがご長男、次男が井上陽水さんって感じ。もっと上は、高倉健さんもいましたしね。

いまでも久留米にはおふくろがいるし、ときどき帰ります。久留米市の市歌を作ったり、市民カードのデザインをしたり。2013年には久留米市文化章もいただきました。こういうことは福岡や久留米だけでなく、九州一円、どこでも頼まれればやっています。郷土愛は死ぬまであるんじゃないかな。

野球もソフトバンクホークスをどっぷり応援していて、応援歌も作りました。ホームゲームを見に行って勝ったときは、必ず飛び入りで歌います。「フミヤが来てると勝率が高い」と言われるけど、負けたときはこっそり帰ってるんです(笑)。でも、9回裏逆転なんていうときに歌うと、興奮の坩堝(るつぼ)のなかで、みんなが口ずさんでくれる。歌手冥利に尽きますね。

久留米で自然のなかで遊びまわっていた5、6歳の頃(右がフミヤさん、左は弟の尚之さん)。
久留米で自然のなかで遊びまわっていた5、6歳の頃(右がフミヤさん、左は弟の尚之さん)。

久留米の仲間とチェッカーズを結成

チェッカーズを結成したのも、久留米時代です。80年代のその当時、ダンスパーティが流行っていました。音楽もそれに合わせてフィフティーズが流行っていて、バンドもいろいろあった。そんななかから、メンバーをチョイスして作ったのがチェッカーズです。僕が高校2年の夏でした。

その後、就職とかいろいろあって解散しようかと言っていたとき、ちょうどヤマハのライトミュージックコンテストがあって、ジュニア部門に出たらグランプリを取ったんです。ところが、メンバーに高校生が3人いたんで、卒業するまでデビューを2年待った。でも、後になって考えると、これがよかったんですよ。2年待たなかったら、たのきんトリオとぶつかって、売れてなかったかもしれないからね(笑)。

聞く音楽も、当時からずいぶん変わりましたね。チェッカーズの頃は、ブラックミュージックばかり。でも、子どもができたあたりから全然聞かなくなって、代わりにアメリカンロックを聞くようになったんです。なぜかな? 夜の音楽より、青空の下で聞くロックのほうが気持ちよくなったのかな。どちらかというと、藤井フミヤというのは、フォークロック寄りの感じになりましたね。

僕の場合は生活がストレートに歌詞に反映します。以前は軟派な歌ばっかり書いていましたが(笑)、いまはどちらかというと、人間の孤独に向かって歌っている感じ。人間って家族がいても、わかってもらえない孤独が絶対あるじゃないですか。いまは、そういうものに向かって歌っている気がします。

高良山から眺める故郷・久留米と筑後川。

藤井家の家訓は運動部入部と海外留学

子どもができたことで、音楽はもちろん、生活もまったく変わりました。以前から、サザエさん一家みたいな、仲のいい家庭をもちたいという願望はありました。なんでも話せて、一緒になって笑って遊べる家族です。実際は?うん、まぁまぁうまくいったかな。

藤井家には、子育てのルールというか、家訓があるんです。「中学に入ったらスポーツ部に入ること。留学すること」の2つ。「これは代々の家訓だ」と、子どもがちっちゃい頃から言っていたから、子どもたちは「いつかパパとママと離れて、1人で外国に行かなきゃいけないんだ」って、ビビッていました(笑)。代々なんて、ウソばっかりなんだけどね(笑)。

でも、2人ともその通りにして、高校で留学して、ちょっといい子になって帰ってきました。子育ては、たぶんティーンエイジャーの頃がいちばん大変だと思うんです、自分もそうだったし(笑)。でも、その年代に留学したことで、子どもたちは親のありがたみがわかったようで、優しくなったし、急激に大人になり、すごくよかったですね。

子どもが小学生のときは、なるべく自然がある場所に遊びに連れて行きました。蜘蛛の巣にカマキリをひっかけて、どっちが勝つか、とかね(笑)。中学校に入ると部活があるから、いわゆるサザエさん一家は、小学校のときまで。一瞬で終わるよね。いまもかみさんと、「あのときは楽しかったね」と話しています。

子どもは今年23歳と21歳なので、まだギリギリ子育てしていますね。部屋を散らかすなとか、小言も普通に言いますよ。就職して、家庭を持つまでは、きっとまだまだなんやかんや言うんでしょうね。

目標は、“いい感じのじいちゃんになる”こと

この10年くらい、山登りにはまっています。僕は山のふもとで生まれて、自分の部屋から見渡す限り耳納(みのう)山地が見えたんです。だからかな、山に対する安堵感みたいなものが、心の根底にあるんです。

日本列島は真ん中に山があって、どこにでも日帰りで行ける山があるし、林業も盛んだから、いくらでも道がある。山ガールのおかげで、山小屋もトイレもきれいになったし(笑)。JR中央線に乗って、山に登って、温泉入ってビール飲んで帰ってくるのなんて、最高ですね。ついこの間もハワイでダイヤモンドヘッドに上がって、山歩きしてきました。自分を浄化するためにも、ほんとは月に1度くらいは山に行きたいところです。

音楽活動では、去年、今年とフルオーケストラと競演させてもらって、シンガーとしてちょっとテクニックが上がった感があります。声の張り方にしても、リズムのとり方にしても、いつもやっている音楽と全然違う。いい勉強になりました。

この夏は情熱大陸スペシャルライブで野外フェスも控えているし、歌わせてもらえるところなら、どこでも歌います。ギター1本からオーケストラまで、予算やハコの大きさに合わせて、なんでもいけますよ(笑)。

この7月で、僕も53歳になりました。じつは僕、20代の頃から、いい感じのじいちゃんになりたいってずっと言ってたんですよ。でも、これほど難しいことはないと、最近思い始めました。

まず、じいちゃんになるためには、長生きしなきゃいけない(笑)。なんでも食べられて、酒も飲めて、健康で、ある程度お金の余裕もないとね。で、たまに飲み屋のお姉さんを口説くようなバイタリティーも必要だしね。これからは、そんな“いい感じのじいちゃん”になるのが目標です。

【阿部民子 = 構成、佐藤慎吾 = 撮影】
目標は、“いい感じのじいちゃんになる”こと

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