SENRI NEW TOWN千里ニュータウンについて

新千里東町 昭和45年11月30日撮影

千里ニュータウンは、大阪府の北西部にある吹田市と豊中市にまたがる千里丘陵にあります。日本初の本格的ニュータウンとして知られ、その面積は、約1,160ヘクタール、これは阪神甲子園球場の約300倍の広さにあたります。1963年に制定された新住法(新住宅市街地開発法)を初めて適用された千里ニュータウンは、その後のニュータウン開発に大きく影響を与えました。それ故に、実験的な試みが数多く見られ、それは一つ一つの建物のみならず、景観を考えた団地の並び方など随所に見られます。

記念すべき最初の入居は1962年に佐竹台に、翌年には高野台、津雲台と入居が開始、それに伴ってニュータウン最初の鉄道、京阪神急行(阪急電鉄)の千里山〜新千里山(現南千里)が開通しました。そして1968年に新千里西町、新千里南町の入居がはじまり、おおよそニュータウンのほぼ全域の入居が完了し、人口も10万人を超えました。

千里ニュータウンの建設はイギリスのマークⅠニュータウンをモデルに、「近隣住区理論」に基づいて進められました。この理論は1920年代にアメリカのペリーによって体系化されたもので、20世紀のニュータウン建設の基礎となった理論のひとつです。千里の場合、全体を南北、中央の3つの区に分け、また、幹線道路で区切った12の住区(学校区)を作り、近隣センターや公園などを配置しました。

これにより千里ニュータウンは広大な面積にも関わらず、計画的な町づくりが可能となったのです。また、千里の特長としてあげられるのが、緑地。総面積の約21%が公園や緑地になっています。この広さはほかのニュータウンと比べても極めて広く、まるで森の中に住宅があるようで、ファンタジックな景観といっても過言ではないでしょう。

新千里東町 昭和45年11月30日撮影

1962年〜70年、高度経済成長期に出来上がったニュータウンには、若い核家族がこぞって入居しました。70年には、EXPOユ70(通称:大阪万博)をきかっけに、世界的にも有名になり、大阪大学の吹田キャンパスのオープン、国立民族学博物館オープン、せんちゅうパルのリニューアル、万博記念公園オープンと、まさに高度経済成長とともに、夢の町が出来上がっていったのです。

そして、2012年、まちびらき50年を迎えた現在、少子高齢化の進展や新しい生活スタイルへの対応などの様々な課題を抱えながらも、これからの新しいまちづくりに向けて、地域が一体となった様々な取り組みが進められています。

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読売新聞大阪本社提供
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※マンション棟竣工後イメージ図
読売新聞大阪本社提供
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