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歴史街道Wa.5 相楽銅鐸を見つめて

イメージ写真 発見された銅鐸は高さ40.5cmで、三角形を連ねたような”鋸歯文“や格子を満した帯を縦横に組み合わせた”袈裟襷文“を施してあった。穴があるのは、銅鐸の中を空洞にするため、外側の鋳型を内側の鋳型が接しないよう型もたせを入れた痕と思われる。
 銅鐸は近畿や中部地方を中心に約400個出土しているが、京都府ではこれが14個目の発見だった。工事中に偶然発見されたのだが、発掘調査を始めたところ、銅鐸の埋め方や埋め込んだ埋納壙の痕跡を突き止地図めることができた。さらに銅鐸が出土した丘陵の下に弥生時代中期のムラも発見。2棟の竪穴住居跡・方形周溝墓などの遺構や多くの土器・石器もみつかった。これが”大畠遺跡“である。このムラで私たちの先祖は過酷な自然と戦いながら、春には豊作を祈り、秋には収穫を感謝して神を祀り、銅鐸を鳴らしていたのではないだろうか。
 現在、この場所は住宅街になっていて、記録を見ることしか昔をしのぶことはできないが、銅鐸の本物は山城郷土資料館に保存されており、また、レプリカは、高の原駅前の都市公団案内所に展示されている。
 山城郷土資料館まで足を運んで見た。本物を前に息を飲む。ピーンと張りつめた空気。思ったよりも小さいので驚く。しかし2000年ほど前の作品だというのに精巧で、当時の暮らしを示す絵が描かれている。銅鐸は極めて数少ないことから、銅鐸を持つムラの希少価値を考えると、奈良に近いこの地域は当時交易が盛んで、重要な意味を持っていたに違いないことがわかった。

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